2011年8月19日金曜日

「たとへば君」四十年の恋歌

 大学教授であり、歌人「河野裕子」様のご主人であり、同じく歌人でもあられた「永田和宏」様とのエッセー兼歌集です。
 お二人の想いをつづった歌が、380首も所収されていますが、一言で四十年。大変なことです。「そりゃそうだろう、あんたとは所詮、人間の出来が違うよ」、と、いわれれば返す言葉もありませんし、元来が材木屋のたちでして、よく言えばすべての女性にフェミニスト、早い話が外面が良いだけの私であります。更に、結婚が早かったものですから、すでに四十数年にもなります。ある意味、少なからず波風の立つ日の多い我が家でした。
 お、この歌、あの時のあの人に贈っていたら喜ばれたろうな、なんて考えているようでは、罰当たりな、性懲りのない人生を送ってきたといえる私です。
 山口瞳先生の奥様は、家庭内では何も心配はいらないのですが、極度の外出に対する障害を終生抱えており、出かける時はタクシーにて、先生がいつも付き添うというか同伴して外出なさっていました。そのためか知人からは「一穴主義」との称号がつけられておりました。ごく、近しい人からの話では、作家という職業柄「ゼロではないよ」と、こっそり教えていただいておりましたが、それにしても愛妻家であることに代わりは有りませんでした。我が家系のDNAには一寸元気な血が流れていた、ということでしょうか。この歳になって漸く認めたりしています。
 叱られるかもしれませんが、お互いが大した病気もせずに過ごしてきた結果、プラス性格が影響しているのかとも考えます。あまり、反省していませんが、今更どうにもなりません。ただ、相手が奥様であり、その奥様への愛情が私にはおそれいりました、と、「たとえば君」に感じさせられます。

 お盆も無事に乗りきりましたが、昨日は37度の猛暑。今日の涼しさは一体何なのといいたくなるほどですが、夏バテが嘘のようです。おかげで元気にPCに向かっています。残念ながら例年通りお店は暇になりましたけど。それにしても、一日中しとしと、と、降る雨模様というのは死語になるのでしょうか。小止みになったかと思う間もなく、ばしゃばしゃと降り続けています。
 平安の歌人たちは、好きな人への伝わらぬ思いを、又、後朝の別れを惜しんで、
「袖を濡らし」てばかりいましたが、今、お隣のコンビニに一寸行ってきただけで、
ずぶ濡れです。これでは歌になりません。

 今日のタイトルからは少し離れますが、私の好きな「藤原実方」の和歌から
 「人しれす ぬれしたもとは すみそめの そめてもそへて ものをこそ思へ」
      連絡が取れなくなったある女性を想っての和歌です。多分。
 どないしまひょ。一遍に咲き出しました。
 後日、あらためて紹介しますが、百合の陰に隠れて、ねむの木が未だ小さいので見えておりませんが、かわいい花が咲き出します。乞う、ご期待。それにしても
たいして手入れしている訳ではないのです。
 まして、ここは駐車場なのですが、なかなかに楽しませてくれています。
 

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