高橋睦郎様「季をひろう」(朝日新聞土曜日版)、今週は『更衣(ころもがえ)』でございましたが、汀女様の作品が所収されておりました。
「『更衣(ころもがえ)』とは、もとは夏の始めにあたる旧暦四月一日に、それまでの綿入れを脱いで袷(あわせ)に更えることをさした。」との書き出しで始まりますが、「現代の更衣は初夏の袷より梅雨明け後の単衣(ひとえ)の趣」としています。
しかし、昨晩の蒸し暑さ、そして九州地方を襲った連日の豪雨は一体どうなっているのでしょうか。日本中、被災地ばかりの様相です。
ご無沙汰でございます。
先週末に、あれ、これは少しやばいかな、と思った腰痛が
週半ばから本格化しまして、何とか仕事だけ、こなしたという、そして今も、やや前傾姿勢にてカキコミしているという状態です。昔、椎間板ヘルニヤで大手術をし、4ヶ月もベッド上での拘禁生活を送ったという、いわば、腰に爆弾を常時抱えた身でして、以来、ゴルフ等は出来ない身体となっておりました。寝てれば良くはなるのが分かっているのですが、実は旧栃木市内ではお盆様でして、それなりにご注文もしっかり入っておりました。つまり栃木市ではお盆様が二回、あるわけでして、正直な所、お客様の立て込み具合が振り分けられます。稼ぎ時の和菓子店には有りがたい、といえます。が、辛い七月のお盆となりました。
広辞苑からの抜粋でございます。
更衣 ①衣服を着替えること。ころもがえ【更衣室】。
②平安時代(どうしても話がその時代に飛んでいくよ
うでございます)、後宮の女官の一。
女御の次位にあって、天皇の衣をかえることを
つかさどり、天皇の寝所にも侍った。
衣更え①衣服を着がえること。
②季節の変化に応じて衣服を変えること。
平安時代以後、四月一日から袷を着、寒ければ
下には白小袖を用いる。五月五日から帷子(かた
びら)、涼しい時は下衣を用いる。八月十五日か
ら先絹(すずし)、九月九日から綿入れ、十月十
日から練絹(ねりぎぬ)を着用、江戸時代から四
月一日、十月一日をもって春、夏の衣をかえる日
とした。
③男女がたがいに衣服を交換し、共寝をしたこと。
催馬楽(さいばら)、更衣。
催馬楽 雅楽歌曲の一種。馬子唄の意。或いは前張り(さ
いばり)の転ともいうが定説はない。奈良時代の
民謡を平安時代に至って管絃の影響によって歌
曲としたもの。
どうでもいい事のような、でも勉強にはなりましたでしょ。
ただし、どうして衣再えの最後に、催馬楽が出てくるのかよく理解できないのですが。
「なつごろも ひとへに西を おもうかな うらなく弥陀を
たのむ身なれば」 権僧都源信
当初は先週前半に、盂蘭盆会について薀蓄をと、考えていたのですが、八月にします。もっとも、誰も興味を示してくれないかも知れませんね。
しかし、一千年前も昨今とあまり変わらない気候であったとしたら、流行り病だけでなく、熱中症でばたばたと人が死んでいったことでしょうね。平均年齢が三十代というのも理解できます。
今はひたすらコスモスの咲き乱れる日々を待ち焦がれる日々でございます。
話題は変わりますが(基本的には変わりませんか)、源氏物語を楽しく読むことができたのは、光源氏が栄華を極めた三十代前半頃まででした。私はどうも、中年の彼は今で言うところのオッチャンと変わらんやんか、過去の色々なことが結局、因果応報みたいにして繰り返されるわけでして、
早い話、気はあれど身体や世間が許さない。
私の身辺のあれこれも、結局は薬局で南極が放送局みたいなものでして、過去の己が道程の反映ではないか、と思い知らされています。今頃気付いたか、なんて言わないで下さい。
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