私が追いかけている「一条天皇と定子、彰子」からですと約180年後の話に、今回だけ飛ばさせていただきます。
全く気が多いんだから、と言われそうですね。
丸谷才一先生が今月十三日にお亡くなりになったのはご承知の通りです。その先生の数ある作品の中から「恋と女の日本文学」というエッセーの様な、考察本がございます。前半は中国には恋愛小説の類が全く見当たらないが、日本は中国から漢字を含め色々と受け入れてきているのに、日本独自の文字文化を進化させた。その中で日本にはなんと万葉以前から「恋」の歌や、小説がかくも多数、誕生した、ということに関して書かれております。
本居宣長の悪戦苦闘ぶりを中心にその真相に、深層に迫っております。宣長は西欧には恋愛文学がちゃんとあることを知らない中で、何故、日本にはこれほど恋歌や恋愛小説が書かれたかについて、考察した最初の偉人と言えます。
丸谷先生は「日本文学では、代表的作中人物をじつに簡単にあげることが出来る。光源氏ですね。『源氏物語』を読んだことのある人も、ない人も、まづ彼の名をあげるでせう。これは何と言っても物語といふジャンルの位置が高いし、そのなかでも『源氏物語』が圧倒的に有名だからかうなるわけだ。」(先生は旧仮名使いが本来である、そして美しい日本語として表現できる、としております。故に原文に従って掲載しておりますことご承知ください、)「それにあの人は人気がありますね。男も女も好意を持ってゐます。谷崎潤一郎みたいに三べんも翻訳をしたあげくあの男は嫌ひだなんて言う人もゐますが、特殊な例外ですから無視してかまはない。
しかし、一体、光源氏とは何をした人か、といふことになるとちょっと困るんです。別に何か特別の事業をしたわけぢゃない。ただ、ほうぼうの女と関係して、死んだ、それだけのことです。(中略)つまり光源氏は恋愛の名人だった。われわれの文学の代表者は恋が専門でした。」
と、面白い話が続くのですが、前置きが長くなりました。
NHKの清盛もいよいよ渦中に入ってきたようです。実は殆ど見てはいないのです。どうも登場する役者さんたちが好きになれないの一言ですが、昨晩は巨人中日戦との掛け持ちでチラチラと拝見しました。源義経が初々しかったですね。さて、建礼門院徳子(のりこ)については、私が云々する必要がないくらい有名ですが、本書の中で「女の救われ」とのタイトルで登場してきます。簡単に彼女の生涯を紹介します。
平清盛の娘で高倉天皇の中宮。安徳天皇の生母です。
1185年三月二十四日、壇ノ浦で平家は滅亡するわけですが「このとき建礼門院の母、平時子は八歳の安徳天皇を抱いて入水(というのは『平家物語』によるもので、『吾妻鏡』によれば按察局)。そして女院は錘として懐に温石と硯を入れて身を海に投じたにもかかはらず、源氏の兵が熊手を髷にかけて引上げました。死ぬにせよ、生きるにせよ、不憫なことである。(中略)
普通われわれが読む覚一本系統(略)のもので灌頂巻を読むと、大原御幸つづく六道之沙汰のくだりがどうもよくわからない。(略)衆生がこの世でした行為に応じて、死後におもむく六つの世界、すなわち地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道のこと。
大原の寂光院にある建礼門院を後白河院が訪ねてゆく。花摘みに行っていた女院が帰って来て、法王に対面し、やがて自分は生きながらにして六道を体験した身だと語る。
まず昔の栄華、春夏秋冬の楽しみは天上の果報に相当
する。(引用が長くなりますがすみません)そして都落ちと
西海流浪は天人五衰の悲しみだから、双方を合わせて
天上道。
大宰府落ち、秋の末の月見(10月27日は十三夜です)、
清経入水、これは人間道。
海上をさまよって食事にも事欠き、飲み水にも不自由す
る。これは餓鬼道。
室山、水島などで勝ち、一の谷で大敗する合戦の日々。
これは修羅道。
壇ノ浦での先帝入水。残りとどまる人の叫喚。これは地
獄道。
ここまでは納得がゆくのですが、このさきがわからない。
竜宮の夢が畜生道の体験だというのはいかにもこじつけ
がましい。(ここは水原一様の注釈)
この謎は『源平盛衰記』(略)を読むと解ける。
『盛衰記』では、ここで建礼門院は、「人はみな死後に六道を見るものですが、あたくしは生きながらにしてまのあたりに六道の苦楽をへめぐりました」と述べる。すると後白河院はいぶかしんで・・・・・」つまり、畜生道について院も納得いかないのです。
そこで丸谷先生『盛衰記』や、『延慶本平家物語』を基に、兄弟の宗盛、知盛との船上での近親相姦、好色でも有名な義経との関係、さらには実は後白河法皇とも。この辺りの解明はさすがと感心します。
「わたしが思うに覚一本『平家』の終わり方は、エンデイングの名品として、日本文学史上最高のものかもしれません。一体に日本人は構成の才が乏しいのか、うまく終わるのが苦手なやうな気がする。『源氏物語』にしても、果たしてあれでいいのだらうか。(略)
父、清盛には阿弥陀仏の迎えのなかったことが強調されてゐる。父の救いのない死に方が、娘のしあはせな死の引立て役となる。かうして覚一本『平家』は、あまたの罪を犯した女でも極楽にゆけると語って、まことに巧みに女人往生を説くのである。これが覚一本『平家』のメッセージであった。」
なかなかに私の勉強になりました。丸谷先生へのお別れのメッセージの巻でした。
ところで、色々と写真を勝手に使用しておりますが、差しさわりがありましたらご連絡ください。即、削除します。
嗚呼、なんて阿呆な親父だ。と笑ってやってください。
昨日は定休日でしたのに早起きしまして、宮城県は名取市まで出かけてまいりました。以前からカキコミしておりましたので、ご承知の方も多いと思いますが、「藤原実方朝臣墓前献詠会」のご案内をいただいておりましたので、日にちも良し、エイや、てな思い、での旅となりました。写真は秋空の名取駅西口です。
しかしあほな話です。いただいた案内書は一昨年の昨日(十月十七日)の案内状でした。よく見ればわかるのですが、開催年が平成22年となっておりまして、毎年、十月の第三日曜日に開くのだそうでございます。以前に拙著を寄贈したことに対し、名取市長様から感謝状のお手紙も頂戴しておりましたことと、今回ご案内頂いた方が、実行委員さんをなさっていらっしゃるのにそのお名前を失念しておりまして、名取市の市長室秘書課の女性の方と二度ほどお電話にてやり取りを致しました。しかし、肝心なところがすっぽりと抜け落ちたまま、出かけてしまいました。
午前九時半に名取駅西口前よりマイクロバスが出ますので、それに間に合うようお出掛けください、とのことでした。
当然ですよね。九時四十五分まで待ちましたが、バスなんか来るわけありません。おかしいなあ、と思いつつタクシーにてお墓に向かいました。当然ですよねー。人一人、誰も居りませんでして、案内状をもう一度よく見て気付いた、てな次第です。
がっくり墓前でうなだれちゃいました。そもそも、この種のイベントは通常日曜日に開催される訳ですよね。ただ、てっきり実方中将のご命日に開催するんだと、一人合点していたのです。
でもこれで二度目の墓参となりましたが、前回は手ぶらで訪れてしまいましたので、あまりにも静かな秋晴れの中、準備していったお花とお菓子をお供えし手を合わせてきました。これはこれでいいんだ、と納得させまして。
秘書課の女性にどじな話とタクシーの手配をお願いいたしました。それはそれは、ということで「どうか市役所にお立ち寄りください」との事でして、応接室の人となりました。秘書課の渡辺様、教育委員会の佐伯課長様、お忙しいでしょうに太田副市長様までご同席くださいまして、間抜けなオッチャン振りを披露してまいりました。震災のお見舞いを申し上げ、実方の話題に少し触れまして、汗顔の中、渡辺様が大通りまでお見送りいただきながらの、退出でございます。
実は今回お伺いする前から決めていたのですが、名取市に三代続く老舗の和菓子店「たこうや」様がございます。
綺麗な素敵なお店でした。かのこ庵は負けています。
「実方まんじゅう」が有名でして、これも何かのご縁、と感じ訪れてみました。社長様は残念ながら外出中との事で、奥様とお話しをしてまいりました。
外壁が剥がれ落ちたそうですが、思ったほどには被害は少なかったそうです。それよりも「電気も、テレビは勿論、電話も何も連絡が取れず、本当の名取市の被害状況がわからない日が続いたのに困りました」。数日して、仙台在住の娘さんがおにぎりを食べながら徒歩で、無事を確認に来てくれたそうです。そしてぼんやりしている私たちに「ある物、作れる品を作り本当の被害者にお配りし、こんなときだからこそお店を開くべき」との説得に目が覚めました。
という話には正直、鼻の奥がキナ臭くなりました。
斯様な次第で予定よりも早く墓参も済んでしまいましたので、仙台市にて歯科医院を開業している同級生と昼食を共にし、早々に帰ってまいりました。
今回の事はカキコムかどうするか、昨晩はかなり悩んだのですが、どちらにしても「阿呆なオッチャン」は私の一つの売り(?)にもなっとるや無いかと思い書きました。
笑ってやってください。
でも被災地の現状は、あの時からそれ程には回復していないし、何よりも心的外傷はそう簡単に消えることない大変な現況であることも、併せてご報告しておきます。今回お会いした方たちは皆様とてもよい方ばかりでした。何一つ、そのご苦労を強く訴えてくださった訳ではありませんが、逆にそのことが心に強く残りましたドジな、旅でございました。
丸谷才一先生が八十七歳にてお亡くなりになりました。
十六日の「天声人語」にはその「濃密な『余生』を完結させた」とありました。更に文中、山口瞳先生の名前も出てまいりますが、私二度、拝見しており、一度は山口先生を偲ぶ会でのスピ-チをお聞きしました。「本音を語って、誰も傷つけない、スピーチの名人」と書いてありましたが、その通りでした。お歳を考慮すれば止むを得ないのかもしれませんが誠に残念です。
ところで、このブログの閲覧者がかなり以前に一万人を突破しております。恥ずかしながら誠に、今回の如きことまで書いております。一年ちょっとでのこの手のブログとしては素晴らしいことだそうでして、実は名古屋に熱心な読者がおり、必ずチエックをしてくれていることを教えてくれる方が居りました。嬉しくも、冷や汗ものでもございます。
日々研鑽、には少し歳を取ってしまいましたが、これからも宜しくお付き合いください。
それ程のことではないのですが、昨日のカキコミの中での山口瞳先生の箇所、一部訂正させていただきます。
つまり、女性との別れ方について、山口先生が仰ったかの如く書きましたが、間違いでした。高橋義孝先生のお言葉を山口先生がご紹介している、というのが本当です。すみません。
高橋先生曰く「女と別れる時はね、(中略)いきなり、パッと別れちゃ駄目ですよ。パッと別れると出刃包丁です。あるいは毒薬のまされたり・・・」。「いちばんいいと思うのは、畳の目ほど離れていくんです。少しずつ少しずつさがってゆく。(中略)畳のひと目ずつ・・・」。が極意、ということです。
「女はこわい。特に美人はこわい。その美人が三十歳にちかづいて焦ってくると、いよいよこわいことになる」。
「相手の女が、すこしずつすこしづつ悟るようにしないといけない。すると、自分で納得するのだろう。『そうだわ、私は振られたんじゃないわ。私のほうが嫌いになったんだわ』そう思わせないといけない。『しかし、先生・・・』と私は言った。『きれいさっぱり別れたつもりでも、そこでまたヤッとつかまっちまうんじゃないですか。』高橋先生は笑っていた。そうして、こう言われた。『焼けぼっくいには特別な味がありますね。なくなっていた万年筆が出てきたような。ああ書ける。そういう感じがありますね。焼けぼっくいの場合にはスラッと書けてしまう。』
「誰かが、女と別れる時はふりむいてはいけないと書いていた。和田芳恵さんであるような気がするが。」
「土岐雄三さんは、また『霜が朝日に合うように』という・・・(略)。
ある人がある人を評して『出来上手の別れ下手』だといった。女にはヤタラにもてる。あるいは口説いてモノにするのがうまい。しかし別れるのが下手で、いつまでも女を背負い込んでしまう。あるいは面倒を見てしまう。
こういうことは、結局は妻子を泣かすことになる。相手の女も不幸にする。二年か三年ならいいけれど、十年も経つと、相手の女も女房同様になってしまって、いよいよ別れにくくなる。女も齢を取る。誰かと結婚するということによって解決するという道も困難になる。男は、また別の若い女をもとめる。その女とも別れられない。これが『出来上手の別れ下手』ということであるらしい。
だから、あるときは、それがいかに残酷であっても、いかに危険であっても、思い切って別れてしまわなければいけないと、ある人が言ったのだ。」(以下略)
光源氏様に読ませたき内容となりました。
ところで、何故に「源氏物語」から暫く離れようかと思ったかは、どうやらこの辺りにあるといえます。四十、五十になっても、如何に権力も、暮らしにも困らないからといって、どうにも相変わらず女性問題で、しかも因果応報で連綿と続く話に少し辟易してきました。シルバーグレーのオッチャンやないかと、言いたくなります。当時の五十歳は今なら六十歳を越えている、と思います。どうにも我が身と比べてしまうのを感じてしまうのです。ほんま、わてやったらもう少しうまく立ち回りまっせ、と。上の「源氏絵巻」からは「雨夜の品定め」つまり十七才の頃、左側は紫の上が重病になり見舞う源氏、五十歳前後のことと思います。作者は違いますが、その年齢の違いがわかります。
色々なところからの抜書き、抜粋ばかりのカキコミとなりました。いいたきことはご理解の程お願い申し上げます。
今朝お届けの栃五小様、体育館入り口付近、永野川にて見つけた小さな秋です。高橋治様は「倒れ伏してまで美しい花は少ないが、そうとなってもコスモスには風情がある。」と、仰っておりますが、和名「秋桜」とは名付け親を知りたくなります。
(全て敬称を略、と致しますことの失礼をお許しください)
結構この著書を読むかどうかについて悩んでおりました。
失礼ながら、林真理子よりも瀬戸内寂聴、円地文子、谷崎潤一郎、田辺聖子等のいわば大御所の「源氏物語」を読んでもいないままでございます。まともなところで林望さん程度でして、あとは失礼な表現ながら傍流とでもいうべき山本淳子や、週間源氏物語絵巻、内館牧子、高木和子、池田亀鑑(古いですか)という方々が取り上げた、源氏関連の書物を拝読し、もうこれでいいではないか、とも感じてました。
でも最後と思い、取り寄せました。
流石に林真理子、と書かせていただきます。
内館流「弘徽殿女御」のご解釈に対し、「六条御息所」に乗り移っての林流「光源氏」のご解釈でした。生霊として
夕顔の髪の毛にて夕顔の首をお締めになる六条御息所の「夕顔」の場面。そして光源氏十七、八歳、御息所二十二、三歳。こんな二人が閨を共にしたら、それこそ朝が来ても二人の肉欲は尽きることはないでしょうね。
その激しさがあるが故に、別な女性を追い求めてしまう光源氏。それを怨霊として浮遊し自在に源氏を追い、その全てを知ってしまう御息所の苦悩。
弘徽殿女御がクールな知性派美女なら、御息所は熱情溢れる(溢れすぎなんです)肉感的美女といえますか。
本文中から少しだけ抜粋します。
『不幸というものは、そんなものではありません。不幸というのは、自分が持っていたものを失うことを言うのです。夫に死なれ、恋人に去られた私にはよくわかるのです。
なくても済むものをどうしても欲しいと願い、それが得られないと言って悲しむのは不幸とは申しません。しかし十八歳になっただけのあの方に、そんな道理がどうしてわかるでしょう。』と、光源氏を恨みますが、いっそのこと別な男、新たな恋人でも作ればよいものを、又、それが可能な女御でもある立場と、後ろ盾があったのに。何て思ったりもするのですが。
永遠に男は男、女は女。遥か昔から人は其々に密度の濃淡はあれども、この男女間の悩みは尽きない、そして人それぞれですが、ある人にとっては大きな悩みの一つのようです。
ところで、この本の活字の大きさが単行本としては小さいながら、一行の文字数が少なく感じます。あっという間に読了してしまいました。又、林さんのことですから御帳台(今で言うところの寝室です)における結びつきの表現にはもう少し激しい書き方をなさると思っていたのですが、ごく自然な表現でした。何しろその本の表紙を拝見しただけでは、そんな感じでございましたが、面白い造りであるとも言えます。つまり半透明の表紙といいますか、カバーの下に
腰巻といえるのかどうかわかりませんが写真が半分以上の大きさでついています。
右の写真ですが、これをもってして六条御息所に関する本だとは、どうでしょう。
しかし、もう少し六条御息所のため、光源氏のために抜書きします。
『あの方への恨みごとばかり申し上げていたような気がします。いくら輝くように若く美しい男だからといって、いくら皇子(みこ)だからといって、あまりにも薄情な仕打ちをなさったと、くどくどとお話しし過ぎたような気がいたします。それならば、どうしてそのような男に惹かれ、ここまで魂をさまよわせているのかと問われるかもしれませぬ。
このたびはあの方のやさしさについて、お話しなくてはなりません。あの方は淋しいお育ちのせいか、老いた者や弱いものに対しては、格別のやさしさやいたわりをもっていました。
あの方が、ある女性(にょしょう)に抱かれた気持ちというのも、愛情というものとはかけ離れたいたわりというものでございました。』
山口瞳先生の作品の中で、女性からの別れ方が書かれた文章がございます。『畳の目、その細いひと目、ひと目ずつに、離れるが如く、後ずさる感じで離れていく・・・』とあります。
別れる事はいつの時代でも大変な努力が必要なのです。
如何に時代が違うとはいえ、又、所詮は創作の物語でもあります。大変な恋の大遍歴小説「源氏物語」ではございますが、暫く遠ざけることにしました。飽きたのではなく、学者でもない作家でもない和菓子屋の親父にしては深入りし過ぎでございます。
何よりも、事実としての一条天皇と定子や、彰子との事が気になります。そちらに戻り、又、小倉百人一首についても、新聞だけの記事をもう少し膨らませて書き込むべく調べております(ひまですね)。更に、実方献詠会の報告もいたさねばと思っております。私同様、お暇な方はこれからもお付き合いください。
ブログ上で。
昨日から販売を開始いたしました「新栗たっぷり『栗蒸し羊かん』」のご案内です。
如何ですか?
おいしそうでしょう。
今年の栗は、猛暑にめげず何とか、なかなかにいい栗が実りました。栗蒸し羊かんの下に敷いてあるのは本物の栗の葉です。この葉っぱに毒はございませんので食べられますが、美味しくは、というか、固くて食べられません。あくまでも飾りでございますが、雰囲気が醸し出されて又、一味違う栗蒸し羊かんになっていると思います。一個づつをこの葉っぱで包み仕上げました。お皿にてお客様に供する際この葉っぱを下に敷くと、とても秋の雰囲気が満喫できるものと確信いたします。
しかし朝晩はともかく、日中は残暑の余韻が残っておりまして、今日もお店はエアコンを動かしています。今年の暑さには誠に苦しまされました。二度も点滴を受けるなか、冷蔵庫のトラブルや、個人的な問題の抱え込み等、早く忘れさせてくれる本格的な秋、いやいっそのこと初冬を待ち受けたき気分でございます。実は先程までコピー機の不調修理のために、メーカーのメンテの人が色々とやっておりました。家電量販店等で販売されているような簡便サイズの機種ではなく、本格的な事業所用の機種でして、修理代としての経費がふくらむばかりです。
本日は得意のぼやきにておしまいです。