2012年10月13日土曜日

「別れる」 山口瞳

 それ程のことではないのですが、昨日のカキコミの中での山口瞳先生の箇所、一部訂正させていただきます。
 つまり、女性との別れ方について、山口先生が仰ったかの如く書きましたが、間違いでした。高橋義孝先生のお言葉を山口先生がご紹介している、というのが本当です。すみません。
 高橋先生曰く「女と別れる時はね、(中略)いきなり、パッと別れちゃ駄目ですよ。パッと別れると出刃包丁です。あるいは毒薬のまされたり・・・」。「いちばんいいと思うのは、畳の目ほど離れていくんです。少しずつ少しずつさがってゆく。(中略)畳のひと目ずつ・・・」。が極意、ということです。
 「女はこわい。特に美人はこわい。その美人が三十歳にちかづいて焦ってくると、いよいよこわいことになる」。
 「相手の女が、すこしずつすこしづつ悟るようにしないといけない。すると、自分で納得するのだろう。『そうだわ、私は振られたんじゃないわ。私のほうが嫌いになったんだわ』そう思わせないといけない。『しかし、先生・・・』と私は言った。『きれいさっぱり別れたつもりでも、そこでまたヤッとつかまっちまうんじゃないですか。』高橋先生は笑っていた。そうして、こう言われた。『焼けぼっくいには特別な味がありますね。なくなっていた万年筆が出てきたような。ああ書ける。そういう感じがありますね。焼けぼっくいの場合にはスラッと書けてしまう。』
 「誰かが、女と別れる時はふりむいてはいけないと書いていた。和田芳恵さんであるような気がするが。」
 「土岐雄三さんは、また『霜が朝日に合うように』という・・・(略)。
 ある人がある人を評して『出来上手の別れ下手』だといった。女にはヤタラにもてる。あるいは口説いてモノにするのがうまい。しかし別れるのが下手で、いつまでも女を背負い込んでしまう。あるいは面倒を見てしまう。
 こういうことは、結局は妻子を泣かすことになる。相手の女も不幸にする。二年か三年ならいいけれど、十年も経つと、相手の女も女房同様になってしまって、いよいよ別れにくくなる。女も齢を取る。誰かと結婚するということによって解決するという道も困難になる。男は、また別の若い女をもとめる。その女とも別れられない。これが『出来上手の別れ下手』ということであるらしい。
 だから、あるときは、それがいかに残酷であっても、いかに危険であっても、思い切って別れてしまわなければいけないと、ある人が言ったのだ。」(以下略)
 

 光源氏様に読ませたき内容となりました。
 ところで、何故に「源氏物語」から暫く離れようかと思ったかは、どうやらこの辺りにあるといえます。四十、五十になっても、如何に権力も、暮らしにも困らないからといって、どうにも相変わらず女性問題で、しかも因果応報で連綿と続く話に少し辟易してきました。シルバーグレーのオッチャンやないかと、言いたくなります。当時の五十歳は今なら六十歳を越えている、と思います。どうにも我が身と比べてしまうのを感じてしまうのです。ほんま、わてやったらもう少しうまく立ち回りまっせ、と。上の「源氏絵巻」からは「雨夜の品定め」つまり十七才の頃、左側は紫の上が重病になり見舞う源氏、五十歳前後のことと思います。作者は違いますが、その年齢の違いがわかります。
 色々なところからの抜書き、抜粋ばかりのカキコミとなりました。いいたきことはご理解の程お願い申し上げます。

 今朝お届けの栃五小様、体育館入り口付近、永野川にて見つけた小さな秋です。高橋治様は「倒れ伏してまで美しい花は少ないが、そうとなってもコスモスには風情がある。」と、仰っておりますが、和名「秋桜」とは名付け親を知りたくなります。

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