2012年10月22日月曜日

「建礼門院徳子」に関して

 私が追いかけている「一条天皇と定子、彰子」からですと約180年後の話に、今回だけ飛ばさせていただきます。
 全く気が多いんだから、と言われそうですね。
 丸谷才一先生が今月十三日にお亡くなりになったのはご承知の通りです。その先生の数ある作品の中から「恋と女の日本文学」というエッセーの様な、考察本がございます。前半は中国には恋愛小説の類が全く見当たらないが、日本は中国から漢字を含め色々と受け入れてきているのに、日本独自の文字文化を進化させた。その中で日本にはなんと万葉以前から「恋」の歌や、小説がかくも多数、誕生した、ということに関して書かれております。
 本居宣長の悪戦苦闘ぶりを中心にその真相に、深層に迫っております。宣長は西欧には恋愛文学がちゃんとあることを知らない中で、何故、日本にはこれほど恋歌や恋愛小説が書かれたかについて、考察した最初の偉人と言えます。
 丸谷先生は「日本文学では、代表的作中人物をじつに簡単にあげることが出来る。光源氏ですね。『源氏物語』を読んだことのある人も、ない人も、まづ彼の名をあげるでせう。これは何と言っても物語といふジャンルの位置が高いし、そのなかでも『源氏物語』が圧倒的に有名だからかうなるわけだ。」(先生は旧仮名使いが本来である、そして美しい日本語として表現できる、としております。故に原文に従って掲載しておりますことご承知ください、)「それにあの人は人気がありますね。男も女も好意を持ってゐます。谷崎潤一郎みたいに三べんも翻訳をしたあげくあの男は嫌ひだなんて言う人もゐますが、特殊な例外ですから無視してかまはない。
 しかし、一体、光源氏とは何をした人か、といふことになるとちょっと困るんです。別に何か特別の事業をしたわけぢゃない。ただ、ほうぼうの女と関係して、死んだ、それだけのことです。(中略)つまり光源氏は恋愛の名人だった。われわれの文学の代表者は恋が専門でした。」
 と、面白い話が続くのですが、前置きが長くなりました。
 NHKの清盛もいよいよ渦中に入ってきたようです。実は殆ど見てはいないのです。どうも登場する役者さんたちが好きになれないの一言ですが、昨晩は巨人中日戦との掛け持ちでチラチラと拝見しました。源義経が初々しかったですね。さて、建礼門院徳子(のりこ)については、私が云々する必要がないくらい有名ですが、本書の中で「女の救われ」とのタイトルで登場してきます。簡単に彼女の生涯を紹介します。
 平清盛の娘で高倉天皇の中宮。安徳天皇の生母です。 
 1185年三月二十四日、壇ノ浦で平家は滅亡するわけですが「このとき建礼門院の母、平時子は八歳の安徳天皇を抱いて入水(というのは『平家物語』によるもので、『吾妻鏡』によれば按察局)。そして女院は錘として懐に温石と硯を入れて身を海に投じたにもかかはらず、源氏の兵が熊手を髷にかけて引上げました。死ぬにせよ、生きるにせよ、不憫なことである。(中略)
 普通われわれが読む覚一本系統(略)のもので灌頂巻を読むと、大原御幸つづく六道之沙汰のくだりがどうもよくわからない。(略)衆生がこの世でした行為に応じて、死後におもむく六つの世界、すなわち地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道のこと。
 大原の寂光院にある建礼門院を後白河院が訪ねてゆく。花摘みに行っていた女院が帰って来て、法王に対面し、やがて自分は生きながらにして六道を体験した身だと語る。
 まず昔の栄華、春夏秋冬の楽しみは天上の果報に相当 
 する。(引用が長くなりますがすみません)そして都落ちと  
 西海流浪は天人五衰の悲しみだから、双方を合わせて
 天上道。
 大宰府落ち、秋の末の月見(10月27日は十三夜です)、    
 清経入水、これは人間道。
 海上をさまよって食事にも事欠き、飲み水にも不自由す
 る。これは餓鬼道。
 室山、水島などで勝ち、一の谷で大敗する合戦の日々。 
 これは修羅道。
 壇ノ浦での先帝入水。残りとどまる人の叫喚。これは地 
 獄道。
 ここまでは納得がゆくのですが、このさきがわからない。
 竜宮の夢が畜生道の体験だというのはいかにもこじつけ 
 がましい。(ここは水原一様の注釈)
 この謎は『源平盛衰記』(略)を読むと解ける。
 『盛衰記』では、ここで建礼門院は、「人はみな死後に六道を見るものですが、あたくしは生きながらにしてまのあたりに六道の苦楽をへめぐりました」と述べる。すると後白河院はいぶかしんで・・・・・」つまり、畜生道について院も納得いかないのです。
 そこで丸谷先生『盛衰記』や、『延慶本平家物語』を基に、兄弟の宗盛、知盛との船上での近親相姦、好色でも有名な義経との関係、さらには実は後白河法皇とも。この辺りの解明はさすがと感心します。
 「わたしが思うに覚一本『平家』の終わり方は、エンデイングの名品として、日本文学史上最高のものかもしれません。一体に日本人は構成の才が乏しいのか、うまく終わるのが苦手なやうな気がする。『源氏物語』にしても、果たしてあれでいいのだらうか。(略)
 父、清盛には阿弥陀仏の迎えのなかったことが強調されてゐる。父の救いのない死に方が、娘のしあはせな死の引立て役となる。かうして覚一本『平家』は、あまたの罪を犯した女でも極楽にゆけると語って、まことに巧みに女人往生を説くのである。これが覚一本『平家』のメッセージであった。」

 なかなかに私の勉強になりました。丸谷先生へのお別れのメッセージの巻でした。
 ところで、色々と写真を勝手に使用しておりますが、差しさわりがありましたらご連絡ください。即、削除します。
 

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