2012年10月12日金曜日

「六条御息所 源氏がたり」林真理子

 (全て敬称を略、と致しますことの失礼をお許しください)
 結構この著書を読むかどうかについて悩んでおりました。
 失礼ながら、林真理子よりも瀬戸内寂聴、円地文子、谷崎潤一郎、田辺聖子等のいわば大御所の「源氏物語」を読んでもいないままでございます。まともなところで林望さん程度でして、あとは失礼な表現ながら傍流とでもいうべき山本淳子や、週間源氏物語絵巻、内館牧子、高木和子、池田亀鑑(古いですか)という方々が取り上げた、源氏関連の書物を拝読し、もうこれでいいではないか、とも感じてました。
 でも最後と思い、取り寄せました。
 流石に林真理子、と書かせていただきます。
 内館流「弘徽殿女御」のご解釈に対し、「六条御息所」に乗り移っての林流「光源氏」のご解釈でした。生霊として
夕顔の髪の毛にて夕顔の首をお締めになる六条御息所の「夕顔」の場面。そして光源氏十七、八歳、御息所二十二、三歳。こんな二人が閨を共にしたら、それこそ朝が来ても二人の肉欲は尽きることはないでしょうね。  
 その激しさがあるが故に、別な女性を追い求めてしまう光源氏。それを怨霊として浮遊し自在に源氏を追い、その全てを知ってしまう御息所の苦悩。
 弘徽殿女御がクールな知性派美女なら、御息所は熱情溢れる(溢れすぎなんです)肉感的美女といえますか。
 本文中から少しだけ抜粋します。
 『不幸というものは、そんなものではありません。不幸というのは、自分が持っていたものを失うことを言うのです。夫に死なれ、恋人に去られた私にはよくわかるのです。
 なくても済むものをどうしても欲しいと願い、それが得られないと言って悲しむのは不幸とは申しません。しかし十八歳になっただけのあの方に、そんな道理がどうしてわかるでしょう。』と、光源氏を恨みますが、いっそのこと別な男、新たな恋人でも作ればよいものを、又、それが可能な女御でもある立場と、後ろ盾があったのに。何て思ったりもするのですが。

 永遠に男は男、女は女。遥か昔から人は其々に密度の濃淡はあれども、この男女間の悩みは尽きない、そして人それぞれですが、ある人にとっては大きな悩みの一つのようです。
 ところで、この本の活字の大きさが単行本としては小さいながら、一行の文字数が少なく感じます。あっという間に読了してしまいました。又、林さんのことですから御帳台(今で言うところの寝室です)における結びつきの表現にはもう少し激しい書き方をなさると思っていたのですが、ごく自然な表現でした。何しろその本の表紙を拝見しただけでは、そんな感じでございましたが、面白い造りであるとも言えます。つまり半透明の表紙といいますか、カバーの下に
腰巻といえるのかどうかわかりませんが写真が半分以上の大きさでついています。
右の写真ですが、これをもってして六条御息所に関する本だとは、どうでしょう。

 しかし、もう少し六条御息所のため、光源氏のために抜書きします。
 『あの方への恨みごとばかり申し上げていたような気がします。いくら輝くように若く美しい男だからといって、いくら皇子(みこ)だからといって、あまりにも薄情な仕打ちをなさったと、くどくどとお話しし過ぎたような気がいたします。それならば、どうしてそのような男に惹かれ、ここまで魂をさまよわせているのかと問われるかもしれませぬ。
 このたびはあの方のやさしさについて、お話しなくてはなりません。あの方は淋しいお育ちのせいか、老いた者や弱いものに対しては、格別のやさしさやいたわりをもっていました。
 あの方が、ある女性(にょしょう)に抱かれた気持ちというのも、愛情というものとはかけ離れたいたわりというものでございました。』
 
  山口瞳先生の作品の中で、女性からの別れ方が書かれた文章がございます。『畳の目、その細いひと目、ひと目ずつに、離れるが如く、後ずさる感じで離れていく・・・』とあります。
 別れる事はいつの時代でも大変な努力が必要なのです。
 如何に時代が違うとはいえ、又、所詮は創作の物語でもあります。大変な恋の大遍歴小説「源氏物語」ではございますが、暫く遠ざけることにしました。飽きたのではなく、学者でもない作家でもない和菓子屋の親父にしては深入りし過ぎでございます。
 何よりも、事実としての一条天皇と定子や、彰子との事が気になります。そちらに戻り、又、小倉百人一首についても、新聞だけの記事をもう少し膨らませて書き込むべく調べております(ひまですね)。更に、実方献詠会の報告もいたさねばと思っております。私同様、お暇な方はこれからもお付き合いください。
 ブログ上で。



 
 

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