2011年7月8日金曜日

「人間は何にでも慣れられる。」

 ロシアのというよりも世界的な作家、ドストエフスキーの言葉だとされています。
 「人間は何にでも慣れられる。それが恐ろしいのだ。そしてそれが人間の特徴なんだ。」と。
 3-11以来、被災された方たちは、この蒸し暑さの中、例えば避難所暮らしに慣れたでしょうか。
 一向に先の見えない、つまり、何時まで我慢すれば状況が変わるのか。そこが見えてこない中
での生活は、まさに悲惨の一言だと思います。何も手助けできない私の現実は、ただただ一日も
早い復興を祈るばかりです。ともかく、厳しい季節になってしまいました。体調の管理にくれぐれも
ご配慮下さい、と申し上げておきます。

 何処の商店、スーパーマーケットに行っても、「節電」ということで天井の照明は3割程度、消灯
されています。かのこ庵も同様ですが、別に不自由なく買い物は出来ます。今までが余りにも、
電力を当然の如く使いすぎていたのです。こういう事にはもっともっと慣れなければと感じます。
 
 ところで、相変わらず生半可な知識のカキコミですが、ドストエフスキーが流浪の旅に出たことは有名です。同じロシアの文豪、トルストイも漂白の旅にでて、そのまま帰らぬ人となっています。
 旧聞になりますが、昨年の十一月はトルストイが亡くなって丁度100年目でした。奥さんとの不仲による、82歳の偉大な作家の家出が漂白の原因です。82年の生涯の終焉の地は、名もないというか名前はちゃんとあるのでしょうが、ちっちゃな駅舎のベンチで眠るように死んでいたそうです。だから偉いというつもりはありませんが、結構、最近各種の家庭内の悩みも含めて諸問題を抱えている我が身としては、旅に出るゆとりの無さに、正直、愕然とし、いささか落ち込み中という日々です。
 実は、六月中に旅に出るべく、十分にして綿密なスケジュールまで作成してはいたのです。予定では夜行バスにて先ずは大阪の中央市場から北部市場、そして京都で菓子屋めぐり、最後に、昔大変お世話になった名古屋の京極食品さんの会長さんと昔話を・・・。てな具合で。
  
 ドストエフスキーの没年は1881年、トルストイ1910年。話はもうちょっと変化して、遡ります。
 「月日は百台の過客にして、行き交う年も亦旅人なり」。ご存知、松尾芭蕉「奥の細道」の書き出しです。「松島の月、先ず心に掛かりて・・・」。(月日は旅人である。人生も旅人である。いにしえの人も沢山旅に出でて、旅の中で死んでいった。私も物に憑かれたように旅に出たくてどうしようもなくなってきた。松島の月が脳裏に浮かんできてしまう・・・)。1689年3月に陸奥に旅立ちます。旅先で死んでも、それはそれで本望だ、と。1694年大阪への旅路で亡くなります。
 更に遡って、意味合いはそれぞれ違いますが、藤原実方も、在原業平も陸奥に旅立っていますが、この辺りの所は徐々にカキコミしていきます。
 
 しかしどうも、いい歳になっているのに思うようにならない己が情けないったらありゃーしない。と
しみじみ思う、どんよりした梅雨空の昨今です。
 得意のボヤキが、本日は絶好調です。

 もう一つボヤキです。
 昨日から、ショウケースの上の冷たくしてお召し上がりいただく商品群を、竹のすだれをしきまして、店の業務用の冷凍庫で作った透き通った氷を、アイスピックで砕き敷き詰め陳列しています。今、更に、検討中ですが、どうも結構な努力の割りに、お客様の反応が感じられないのです。もっと、涼感あふれる演出が必要なんでしょう。アピールの方法を研究します。
 
 上生菓子の「緑陰」、少し手直ししました。「さしも草」を茹でてみました。又、四葉のイメージに修正です。その日によって少しづつ変化していくのも、ちっちゃなお店の利点ですね。
                          店内ポップ用に「伊吹山」写真撮りしました。

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