2011年7月14日木曜日

「白玉や 人づきあいを 又嘆き」 中村汀女

 毎度、中村汀女様の作品を拝借してます。
 合併前のもっと以前の旧栃木市内は、7月がお盆でして、ちょっと忙しい日々です。
 更に、お線香を上げに行かねばならないところもあり、あわただしさが募ります。
 どうして、白玉なのかよく分かりませんが、実によく同感させられる季節です。
 しかし、節電の夏にして、猛暑の夏がもう随分と続いています。
 白玉ぜんざいを作る予定でしたが、今年はパスさせてもらいました。
 それにしても、これは個人の好みの問題ですが、この季節の例えば夏祭りとか、
人が沢山集まる場所に出て行くのが昔から苦手でして、つまり、汗をかいた腕と、
腕が触れ合うのがいけません。夏の人ごみは大好きな女性とならともかく(おりませんが)
今年で言うなら、我が家で少し薄めのハイボールを「くーー」と言いつつやるのが、目下の
楽しみです。でも、おやっと思わせられる人からのお誘いが、あるいは、以心伝心するならば
出かけることはやぶさかではありません。ひらりと現れるのをひたすら待ちましょう。
 
 向田邦子さんについて少し書きます。
 まさに才女でしたがあっという間にお亡くなりになりました。
   杉浦直樹さんが彼女への追悼文の中で
   「私の好きな男のやさしさは、あまりかっこよくない
   不器用な、少々こっけいなやさしさです」。と、彼女が話していた事を書いていました。
   「『男のやさしさ』を知っていた」との短文です。
   山口瞳先生は、彼女の才能をいち早く見い出し、直木賞受賞に力添えしたことは有名な話
  です。その山口先生が、向田邦子さんの告別式で弔辞を読み上げています。
   「(略)
    向田邦子さん。
    あなたは、自分にとって最大のお祭りであるのに本人が参加していない、それがお葬式
   ですと言っていましたね。しかし、私には、あなたが、いま、ここにいるような気がしてなら
   ないのです。
    向田邦子さん。
    あなたは茶目っ気のある、好奇心の強い方でしたから、ご自分のお葬式に誰が来てい
   るかを知りたいでしょう。(略)みんな来ていますよ。あなたが愛していた方々は、みんな
   来ていますよ。また、あなたのことを愛していた人たちもみんな来ていますよ。(略)」
 1980年7月17日に向田邦子さんは直木賞を受賞しています。
 あれから、31年も経ちます。その翌年8月22日、取材中の台湾での飛行機事故で亡くなり
 ます。51歳でした。 
  山口先生や向田邦子さんから「男の美学」について、間接的に随分とご指導頂きました。
  と、いっても私が「男の美学」を何処まで分かっているかは自分では分かりませんが。

 梅雨入りも早かったですが、梅雨明けも早く来ました。そして節電の夏に、猛暑が続いてい
ます。せめて、涼しさも早く訪れてくれることを、今夏は特に強く思います。心にやさしい、爽や
かな風が吹いてくれますようにと。
 ところが、数日前の雷雨の写真です。もう少しでかのこ庵の作業場が床下浸水になるところ
でした。日本も地球も少しおかしくなっているのを実感します。ゲリラ豪雨の後の雲の切れ間に
のぞいた、上弦のお月様の写真も併せましてご覧ください。 

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