2011年7月23日土曜日

「遂に行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」 

 又しても中途半端な知識の披露で恥ずかしいのですが、以前に少しだけ書いた「在原業平」の
話です。『伊勢物語』を残し、プレーボーイとして浮名を残し、歌人としても高名な彼の辞世の和歌なのですが、法事の際の御住職による説教に、あの時は、フムフムとうなずいていました。が、
この世に生を受けて、当時としては止むを得ない年齢といえるかもしれませんが、彼は五十六歳にて亡くなりました。人間、いずれは黄泉の国に旅立つものなんだよ、というそんなに難しくない
というか、分かりやすい和歌だと思っていました。確か御住職は「もう、色恋なんて関係なく、この
世を去る日が眼前に来てしまった」風な解釈をなさっていました。決して間違いではないのですが
もう少し和歌の本意は違うところに有ったのでは、と、思います。
 彼の最終官位は従四位上右近衛権中将兼美濃権守で、蔵人頭を兼ねていました。
 近衛中将と蔵人頭を兼ねた人は頭中将(とうのちゅうじょう)と呼ばれます。「源氏物語」に登場
する光源氏の親友も、頭中将としていわゆる軟派好きな人物として登場してきますが、「公達」と
呼称される高位に当たります。参議の一つ手前の位でした。若い時に流した浮名によって、陸奥下向等もあり、官位が上がり始めたのは、彼が五十歳代になってからでした。遠の昔に色恋は殆ど関係なくなってからの事になります。何故、出世が出来たかは、若いときにしてはいけない相手としての藤原高子が、皇后の立場になっていたからというのが真相のようです。
 しかし、あと少し生きながらえていれば、現在で言うところの閣僚という立場に立てたということ
です。
 業平没後、一年半後に彼の後輩が、参議になっています。 そこが見えていたのに病没して
いく己の嘆きを、主体として詠んだといえます。悔しかったんだろうと思います。
 今も昔も、律令制度の世も、民主主義の世も、己の地位は常に高きを望んで立ち回った事が、
特に、昨今の政治を見ているとより鮮明に感じられます。

 「酔眼日記」という場で何が言いたいか。極力政治向きのことは、商売には差し障りも多いので
避けるはずでしたが、栃木県産の牛肉についに放射能の影響が報じられました。だからというわけではないのですが、政治家さんは勿論、評論家も含めて、俺が、俺が、というのが余りにも目に付きます。菅さんの方向性に余り間違いはないと私は思っています。脱原発、増税、もう一時も余裕はないはずです。菅さんを支持するしないに関わらず、国民の半数以上の方が止むを得ない
ことと覚悟を決めているのに、何故、国会は一つにまとまらないのか不思議です。民主党政権を
選んだのはわれわれ国民です。とりあえず後継候補がはっきりしない現状では、民主党を中心に、一時も早い対応を心から願い、前に進めなければと痛感します。

 いずれは身を引きます。あの世に行きます。ならば、生ある今、働ける人は働きましょうよ。
 悔いが残らないように。

 今回、写真は無しです。

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