2011年4月2日土曜日

「大津波 北の都は あれにしを むかしながらの 山桜かな」

 タイトルは「千載和歌集」からの盗作です。
作者は読み人知らずとなっていますが、薩摩の守、平忠度(たいらのただのり)です。
 本来の和歌は「さざなみや 志賀の都は あれにしを 昔ながらの山桜かな」ですが、思わず引用、改作してしまいました。

 先程17時頃震度4の地震があり、全く唐突に、ガツンときました。日本はどうなってしまうのよと、気持ちがいささかなえてきます。
 
 藤原定家の父である俊成に忠度は和歌を教わっています。
 平家が都落ちをしていく中で、忠度だけが単騎、俊成の下に戻ります。そして、「勅撰集を編纂するとお聞きしたが、何卒、我が和歌をせめて一首でも・・・」と俊成に作品をしたためた巻物を託して都落ちをしていき、戦の中で壮絶な最後を迎えます。
 その後、後白河院の命で編まれた「千載和歌集」に、前述の和歌が採られる訳ですが、勅勘を蒙った人物故に「読み人知らず」と成ったという「平家物語」に出てくる話です。
 どうも、色々と勉強しているようにとられそうですが、たまたま現在読んでいる本の中に出てきましたので、という訳です。
 最近はあまり聞かなくなりましたが、「ただのりさん」として後世に、いや、つい最近まで名前を残した人物です。こんなことをここに書いていると、このブログを「読む人おらず」の状態になるかも知れませんね。地震の後遺症か少し文章が乱れていますが、お許し下さい。                            

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