2011年9月25日日曜日

「彼岸会」

何事も加齢のせいにしてはいけないのですが、いささか訳知り顔にて、講釈が増えていますこと、又、くどくなっておりますこと、お許し下さい。
お彼岸は、和菓子店にはかき入れ時でございますが、お彼岸の中日と、お寺様のお施餓鬼のための「お供物」としてのお饅頭のご注文を何とか無事にこなすことが出来ました。お寺様のご注文だけで約三千個ほどのお饅頭が出ました。
20日が彼岸の入りでしたが、今ひとつさえないなあと、そして、翌日は台風が直撃し北上して行きましたので、一日休みというか、パスという状態でした。作るほうは目一杯でございましたが、それでも22日から俄然お客様の出足が良くなりまして、結果として昨年を上回って今日のお施餓鬼の納品が午前中に終了という次第です。
誠に、有難うございました。

「彼岸会」とは春分、秋分の日を中日とし、その前後各三日を合わせた七日間を指します。彼岸というのは、煩悩を脱した悟りの境地のことをそう呼びます。
黄泉の世界に居られるご先祖様などのことですが、私達、煩悩や迷いに満ち溢れているこの世を「此岸(しがん)」といいます。
今年は過去に類例を見ないといっても過言ではない、突然の不慮の災難に遭われて、お亡くなりになった方が沢山いらっしゃいます。
お彼岸の法要は浄土思想に添い結びつけて説明されます。浄土思想において信じられている極楽浄土へと旅立たれた、ということですが、心より、そうあってほしいと思います。老若男女に関わらず、突然にそのお命を絶たれてしまわれた訳ですが、現世への思いはいかばかりか・・・。
それぞれに沢山の思いを残したことが有るはずと思います。此岸に住いせし私達には、合掌してせめてご冥福をお祈りせねばと、強く思う今年の秋彼岸です。

昨晩、孫を連れて、皆川城内町での「城山祭」に行ってきました。

町内の方のご努力にて、皆川城跡地の山肌にとても沢山のぼんぼりが飾られており、その美しさの前に、荘厳なる物を感じさせられました。
昔の栃木町を統べられた 「皆川家」が居城とした通称「ほらがい城」という山城の斜面の明かりは、東日本において被災され、又、亡くなられた方への鎮魂の思いが込められていました。

どうも夜間の撮影は下手でして、ぼんぼりの雰囲気とその数は判りづらい写真かと反省してますが、とりあえずご覧ください。
以前にご紹介したことのある「満福寺」様に今朝、お届けにあがりました際、ご住職から御本堂内の撮影を許されました。檀家さんで無ければ拝見することはちょっと難しいと存じますので、あえて、いっぺんに沢山の写真をご紹介します。
ご本尊両脇の曼荼羅図は、名のある方の直筆によって、こちらの御本堂のために描かれた誠に、名品にして、力作そのものでございます。その他、それぞれに御住職のこだわりが有りまして、しかし凡庸なる、煩悩ばかりの我が身では下手な又、真の意味をお伝えできるか心もとなく、解説は略させていただきます。ひとつだけ、ご本堂に通じる廊下に掲げられた書、外の御本堂の正面の扁額の書は共に、知る人ぞ知る「松岡正剛」様のお書きになられたものでございます。
明日が彼岸の明けとなります。ふさわしい写真ばかりをアップいたしました、と、本人は思っています。
ついでといっては申し訳ないのですが、昨年のすすき狩りの時の種がお店の角に落ちたのでしょう。丁度良い具合に穂が出てきましたので、ご覧ください。
併せて、駐車場のコスモスです。

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